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札幌地方裁判所 昭和62年(ワ)2628号 判決

原告

甲野太郎

右訴訟代理人弁護士

坂本彰

被告

右代表者法務大臣

三ケ月章

右指定代理人

都築政則

外五名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  請求

被告は、原告に対し、二六〇九万三五三八円及びこれに対する昭和六三年二月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案

一  事案の要旨

1  本件は、拘置所及び刑務所における身柄拘束中の者に対する医療措置の妥当性が争われた事案である。

2  原告は、昭和五九年八月六日、覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕され、その後同月一一日には岩見沢拘置支所に勾留され、昭和六〇年一月二八日から昭和六一年五月二二日まで月形刑務所で服役した。

3  原告は、昭和五九年八月五日ころ、自宅の台所の床に設置されている水道栓の点検口に落下したが、この落下により頚部脊椎症、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症等の疾患を負ったのに、岩見沢拘置支所及び月形刑務所において適切な治療を受けられず、また適切な治療を受ける機会を与えられなかったため、出所後、右疾患が手遅れの状態となり、症状が固定するに至ったとして、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、損害二六〇九万三五三八円(治療費一二七万六〇八〇円、入院雑費四万五〇〇〇円、休業損害六〇万七五〇〇円、入院慰謝料四五万円、後遺症慰謝料五〇〇万円及び逸失利益一八七一万四九五八円)の賠償を請求する。

二  本件の経過

1  原告の負傷

原告は、昭和五九年八月五日ころ、自宅(札幌市北区新琴似三条七丁目コーポさわやか一号室)の台所の床に設置されていた、床下の水道栓などの点検のための点検口(たて、横各約四五センチメートル、深さ約七〇センチメートル)に落下した。

(甲1ないし9、12、24、25、乙イ1の1ないし5、2、原告本人(第一回)、被告山口実、弁論の全趣旨)

2  原告の逮捕と夕張警察署への収容

原告は、同月六日、覚せい剤取締法違反の容疑で夕張警察署に逮捕され、同署において取調べを受けたが、その際、点検口に落下して身体の調子が悪い旨訴え、同月一〇日、桑島整形外科の桑島秀郎医師(以下「桑島医師」という。)による診療を受けた。

桑島医師は、原告の首、腕、足、背中等をレントゲン撮影し、原告の症状について、「頚部挫傷、右上腕内上顆皸裂骨折、頭部、左膝部挫傷」と診断し、頚椎カラー固定、右上腕以下のギプス固定、湿布、投薬等の治療を行った。

(原告が覚せい剤取締法違反の容疑で逮捕されたことについては争いがない。その余の事実は、甲7、12、原告本人(第一回)、弁論の全趣旨)

3  岩見沢拘置支所収容中

(一) 及川医師の診療

原告は、同月一一日、岩見沢拘置支所に移監されたが、引き続き頚部痛、両上肢痛、右下肢痛を訴えたため、同月一四日、及川整形外科医院の及川稔医師(以下「及川医師」という。)の診察を受けた。

及川医師は、原告に対し、ギプス固定や湿布、投薬等の治療を行ったほか、右肘及び頚椎のレントゲン撮影を行い、同年九月三日、原告の症状について、「(1)頚椎捻挫兼頚髄損傷の疑い、(2)右肘部挫傷」と診断し、「頚髄損傷の疑いもあり上級病院での精査が必要と考えられる」旨記載した診断書を作成した。

そして、及川医師は、同月六日、北海道大学医学部付属病院(以下「北大病院」という。)整形外科宛に診療を依頼する文書を作成し、「頚椎の根症状が極めて強く出ており手術的治療が必要かと考えます。」旨記載したうえ送付した。

(原告が岩見沢拘置支所に移監されたこと、及川医師の診断内容については争いがない。その余の事実は甲8、乙ロ3―六頁、原告本人(第一回、第二回))

(二) 佐藤医師の診療

原告は、昭和五九年九月一四日、北大病院整形外科の佐藤栄修医師(以下「佐藤医師」という。)の診察を受けた。

原告は、岩見沢拘置支所の職員三名の介助を受けて歩行し、佐藤医師に対し、「①小便タラタラと切れない、大便便秘気味、②歩行つまづき易い、③下肢脱力、④上肢不自由、右手使えない、左手しびれる、⑤長く話すと頭が痛い」との症状を訴えた。

佐藤医師は、頚部のレントゲン撮影により、頚椎五番―六番、六番―七番の椎間板変性、頚椎五番―六番の後方骨増殖、椎間孔狭小著名を認め、また、徒手筋力テストから両下腿以下、右上肢で筋力の低下があるものと認めたが、上肢反射や膝蓋腱反射は正常で、両下腿以下及び両前腕以下の知覚欠如の訴えも再現性が確かではなく、多分に症状が修飾されており、極めてオーバーに病状を訴えているとの印象を受けた。

佐藤医師は、原告の症状について、「頚椎症性脊髄神経根症の疑い」と診断し、「近医通院加療を要すると思われます。今後の経過に関しては今のところ速断はできません。①通院により軽快していくこと②改善ないことのいずれもが予想されます。」と記載した診断書を作成した。

また、佐藤医師は、同日、及川医師に対し、「客観的にも脊髄病変があると思われますので、何らかの治療は必要ではないでしょうか?しかし、患者の言うとおり穴への落下がこれらの症状の原因であるとすると、脊髄自体の損傷が予想されるので、椎弓切除などの除圧術で快癒させることは難しいと考えます。よしんば、それを試みるにしろ、入院、脊髄造影、手術、その後の休養、外来通院となると、入れる病院の問題が非常に大きいと思います。小生にはどうしたら良いのか判りかねますが、今しばらく先生の方で通院していただきフォローしていただくわけには参りませんでしょうか?今後、修飾された部分がとれてくると、もう少し適応についてはっきりとしてくる(保存療法を続けるか?手術に踏み切るか?)と思われます。」旨記載した文書を送付した。

(原告が佐藤医師の診察を受けたこと、原告が訴えた佐藤医師に対する症状の内容、佐藤医師の診断内容及び診断書の記載内容については争いがない。その余の事実は、原告本人(第一回)、乙ロ3―二ないし五、七頁、7の1ないし3、8)

(三) その後の診療と原告の症状

原告は、その後月形刑務所に移監されるまで、週一回の割合で及川医師の診療を受けた。この間、及川医師は、再びレントゲン撮影を行い、同年一〇月八日、九月三日付けの診断書と同旨の診断書を作成した。

また、原告は、岩見沢拘置支所収容中、食事の際、箸に代えてスプーンの貸与を受け、入浴等の際、同支所経理夫から介助されることがあった。

(原告が、岩見沢拘置支所収容中、食事の際、箸に代えてスプーンの貸与を受け、入浴等の際、同支所経理夫から介助されることがあったことについては争いがない。その余の事実は甲9、原告本人(第一回))

4  判決の確定と月形刑務所への収容

(一) 原告の入所当初の吉田医師の診療

原告は、昭和六〇年一月一〇日、札幌地方裁判所岩見沢支部において、覚せい剤取締法違反の罪で懲役一年八月に処せられ、確定後の同月二八日、月形刑務所に移監された。

原告は、入所当日、同刑務所医務課長である内科医の吉田純一医師(以下「吉田医師」という。)の診察を受け、その際、頚部痛や左大腿以下にしびれがあって動かせないなどの症状を訴えた。

吉田医師は、原告の症状について、頚椎捻挫後遺症と認め、カラーの装着、湿布、鎮痛消炎剤(ボルタレン)、酵素製剤(ダーゼン)、健胃消化剤(タフマック)、精神神経用剤(バランス)等の投与を行い、休養処遇とした。また、原告は、入所以来、独居房において、横臥を許された。

(原告が、札幌地方裁判所岩見沢支部において懲役一年八月に処せられ、同月二八日から月形刑務所で服役したこと、吉田医師が内科医であること、吉田医師の診断内容、原告が休養処遇として独居房に入房していたことについては争いがない。その余の事実は乙ロ2の1―二頁、弁論の全趣旨)

(二) 吉田医師の佐藤医師との相談

吉田医師は、同年二月二二日、原告の治療について前記佐藤医師に相談したところ、同医師から、「原告の骨及び椎間板に変化はない、手術云々は前医での話で何も話していない、運動は問題ないと考えられる」旨の説明を受けたので、吉田医師は、当面の方針を継続し、湿布、鎮痛剤等の投薬などの治療を行うこととした。

(吉田医師が佐藤医師と相談したうえ原告の治療方針を決定したことについては争いがない。その余の事実は乙ロ2の1―五頁)

(三) その後の原告の症状とこれに対する診療の経過

原告は、昭和六一年四月一四日までは吉田医師によって、それ以後出所するまでは同医師から引き継ぎを受けた医師によって、それぞれ週一、二回程度の診療を受けた。

原告は、入所当初は、歩行のため月形刑務所職員の介助を必要としたが、昭和六〇年二月中旬ころから徐々に独力歩行が可能となり、同月一八日、午前午後三〇分ずつの機能回復訓練及び夕食後一時間の読書の許可を得、以後、居房において屈伸運動を行うようになった。

原告は、吉田医師が内科医であることを知り、外科医の診察を求めることがあったが、吉田医師は、北大病院の医師と連絡を取って治療している旨説明した。

また、原告は、吉田医師に対し、自覚症状として、頚部痛や左半身、特に左下肢のしびれなどを訴え続け、同年四月一一日、銃砲刀剣類所持等取締法違反の容疑で警察官の取調べを受けた際、歩行時に五回ころんだ旨申し述べ、さらに、同年四月一二日及び同年五月二七日には、尿失禁を訴えたことがあったが、上肢の不自由を特に訴えることはなかった。

吉田医師は、原告の症状に応じ、前記投薬のほか、鎮咳去痰剤(アストミン)、骨格筋弛緩剤(ムスカルム)などを投与し、また同年七月ころ、原告にアレルギー性の蕁麻疹が生じた際には、抗ヒスタミン剤(ポララミン)、肝臓疾患用剤(グリチロン)、消化性潰瘍治療剤(アルサルミン)、催眠鎮痛剤(ユーロジン)のほか副腎皮質ホルモン剤(セレスタミン)を投与する治療を行った。

吉田医師らの右のような診療の結果、原告の独力歩行が「かなり改善した」(昭和六〇年六月一二日)、「良好である」(同年一〇月一四日)との印象を与えるようになった。また、昭和六一年に入ってからは、原告がかゆみや不眠などを訴えることはあっても、自覚症状として頚部痛や下肢のしびれなどを訴えることはほとんどなくなるに至り、経過は良好であると認められるようになった。

(甲13、原告本人(第一回)、乙ロ2の1―三ないし四一頁)

(四) 原告の出所

原告は、昭和六一年五月二三日、釈放されたが、居房から出迎えの自動車まで独力で歩行した。

(争いがない)

5  月形刑務所出所以後の経過

(一) 阿部医師の診察

原告は、出所後間もなく渡部整形外科の渡部高士医師の診察を受け、その紹介により、昭和六一年六月三日、北大病院脳神経外科の阿部弘医師(以下「阿部医師」という。)の診察を受けた。

原告は、阿部医師に対し、歩行障害、両手のしびれ感、排尿障害などを訴え、また、検査によると、握力は右三キログラム、左二キログラムしかなかった。

阿部医師は、レントゲン撮影等により、原告の症状を「頚部脊椎症」と診断し、できるだけ早く入院させ、検査の上、頚椎五番―六番、六番―七番の骨棘を廓清する手術を行う方針とした。

(原告が阿部医師の診察を受けたこと、阿部医師の診断内容については争いがない。その余の事実は乙ロ3―一〇ないし一五頁、証人阿部弘)

(二) 原告の胸椎の手術

原告は、同年六月一〇日、北大病院に入院し、脳神経外科において、X線CT、断層撮影、磁気共鳴画像(MRI)を始めとした精密検査を受けたところ、頚椎三番ないし七番に後縦靱帯骨化症、胸椎二番以下に後縦靱帯骨化症及び黄色靱帯骨化症が発見された。

もっとも、原告には、日によって上肢の脱力が出現したり、三頭筋の徒手筋力テストの値が変化し、よく病態をつかみきれない面があった。

また、同年七月四日、北大病院神経内科の田代邦雄医師(以下「田代医師」という。)が原告を神経学的に検査することとなり、原告は、同医師に対し、上肢に関しては不自由ない、両下肢に正座して立った時のようなしびれ感がある旨の症状を訴えたが、徒手筋力テストなどの結果は良好であり、田代医師は、原告の歩行がヒステリー性歩行に過ぎず、下肢の攣性も見られないから、手術の適応については疑問であるとの見解を示した。

しかし、阿部医師は、上肢はしばらく様子を見て差し支えないが、下肢には問題があり、その責任病巣は胸椎であると判断し、同月九日、胸椎二番ないし七番の椎弓を切除する手術を行った。

原告は、同月二五日退院し、その後の通院では、阿部医師に対し、左足が少しつっぱる感じ、手がたいへん楽になったと申し出た。また検査でも、握力は、右三九キログラム、左四一キログラム(同年八月一二日)、右四五キログラム、左四七キログラム(同年九月九日)、右四六キログラム、左三八キログラム(同年一一月四日)という値を示した。

(原告の頚椎及び胸椎に後縦靱帯骨化症が発見されたこと、原告が阿部医師の手術を受けたことについては争いがない。その余の事実は甲12ないし14、30、乙ロ3―一六、二八ないし三四頁、証人阿部弘、原告本人(第一、二回))

(三) 手術後の原告の症状

阿部医師は、昭和六二年六月二三日付けの診断書及び昭和六三年二月二二日付けの札幌市北福祉事務所長に対する医療要否意見書において、「原告には両下肢の痙性歩行、両下肢の感覚障害が残存している」旨記載した。

また、原告は、昭和六三年一二月二六日、札幌市から、「頚胸髄症による両下肢の著しい機能障害」との障害名で、身体障害者等級表による等級を二級とする身体障害者手帳の交付を受けた。

(甲10、31、乙ロ3―四七頁)

(四) 交通事故とその後の原告の症状

原告は、昭和六一年一一月二三日、飲酒後友人を送るため自動車を運転中、電柱にぶつかる事故を起こし、救急車で札幌市立病院に運ばれた。しかし、原告は、「ジュースを買いにいってくる」と言って、左足をひきずる感じで歩いて出て行ったまま戻らず、駆けつけた北大病院脳神経外科の医師による診療も受けなかった。

原告は、昭和六二年二月三日以降、阿部医師に対し、背中痛、不眠等を訴えたが、手の不自由はない旨述べている。

(乙ロ3―三六ないし四一頁、原告本人(第一回))

(五) 原告の再度の服役と阿部医師の説明

原告は、昭和六三年四月一三日、札幌地方裁判所において、覚せい剤取締法及び道路交通法違反の罪により懲役三年に処せられ、札幌刑務所において服役した。

原告は、服役中、半年に一度、阿部医師の診察を受けたが、阿部医師は、歩行、筋力、感覚の訴えなどについて、原告が意図的に悪くみせているとの印象を受け、札幌刑務所職員に対し、昭和六三年六月九日の診察後、「手術はなるべく早い方がいいが腫瘍などと違い、いますぐやらねばならないというものではない」、平成元年一月二六日の診察後、「適当な時期に手術が必要だが半年ないし一年以内にすぐ必要なわけではないと思われる」、平成元年七月二七日の診察後、「手術も一刻を急ぐものではない」旨それぞれ説明した。

(乙ロ3―四二ないし五八頁、証人阿部弘、弁論の全趣旨)

(六) 原告の頚椎の手術

なお、原告の頚椎についての手術は、平成五年六月一日現在未だ行われていない。

(証人阿部弘)

6  右に現れた各疾患の概念

右認定のとおり、原告は、昭和五九年八月一〇日、桑島医師から、「頚部挫傷」、同年九月三日、及川医師から「頚椎捻挫兼頚髄損傷の疑い」、同月一四日、佐藤医師から「頚椎症性脊髄神経根症の疑い」、昭和六〇年一月二八日、吉田医師から「頚椎捻挫後遺症」、昭和六一年七月、阿部医師から「頚部脊椎症、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症」との診断をそれぞれ受けていたが、右病状の概念は以下のとおりである。

(一) 頚部挫傷、頚椎捻挫

頚部挫傷とは、広く頚部の外傷を意味し、頚椎捻挫とは、頚椎の外傷による頚部軟部組織(筋肉、靭帯その他)の損傷をいう。頚椎捻挫の症状は、頚部の筋肉痛、肩の凝り、圧痛、手のしびれなどであり、通常三か月程度で軽快するとされている。

(二) 頚部脊椎症、頚椎症性脊髄症、頚椎症性神経根症

頚部脊椎症(変形性脊椎症)とは、頚椎の加齢とともに発生する退行性病変をいい、頚椎症性脊髄症(脊髄損傷)とは、このうち脊髄に障害を及ぼすものであり、頚椎症性神経根症とは、神経根(肩と上肢全体の運動と知覚を支配する頚椎神経のうち、脊髄から頚椎の椎間孔の出口まで)を障害するものである。頚椎症性脊髄症の症状は、上肢のしびれ、歩行障害、尿失禁、腱反射異常などであり、頚椎症性神経根症の症状は、頚腕の放散痛、上肢のしびれ、筋力の低下、腱反射異常などである。

頚部脊椎症は、退行変成という静的な要因に加え、何らかの動的な誘因から発症することが多い。

また、頸部脊椎症は、椎間板の狭小、椎体縁の骨棘形成、椎間関節の関節症性変化によって、局所の支配神経や頚髄、神経根が圧迫、刺激されて発症するが、この種の変化がレントゲンによってみられたとしても、無症候性である方が多く、愁訴と必ずしも平行しない場合がある。

(三) 後縦靱帯骨化症

後縦靱帯骨化症(OPLL)とは、後縦靱帯(椎体及び椎間板の後縁に付着し、頭蓋骨から仙骨部まで及ぶ靱帯)が異常に骨化して大きくなり、脊柱管の狭窄をきたして脊髄を圧迫するものをいい、その大部分は頚椎に生ずる。頚椎後縦靱帯骨化症の症状は、頚部痛や上肢の疼痛、しびれ感、下肢の疼痛、しびれ感、膀胱直腸障害などであり、胸推後縦靱帯骨化症の症状は、腰背部痛、下肢の疼痛、しびれ感、歩行障害、膀胱直腸障害などである。

これらの症状の進行は、通常極めて緩慢であるが、外傷を受けた際、急激に増悪することが多い。また、無症状な症例もあるが、これは、異常骨化による脊柱管の狭窄が極めて徐々に進行し、狭窄度が軽いためであろうと考えられている。

後縦靱帯骨化症は、昭和五五年一二月から原因及び治療法がわからない難病として特定疾患治療研究対象疾患に選定されており、その原因は、未だ不明である。

(四) 黄色靱帯骨化症

黄色靱帯骨化症(OYL)とは、黄色靱帯(椎弓と椎弓との間に存在する靱帯)が骨化して大きくなり脊髄を圧迫するものをいい、その多くは下部胸椎あるいは上部腰椎に生ずる。胸椎黄色靱帯骨化症の症状は、下肢のしびれ感、腰背部痛などである。

黄色靱帯の骨化は、二〇歳代からみられ、年齢が進むにつれて骨化の発生頻度や程度も高度となり、四〇ないし五〇歳になるとほとんどすべての人に骨化の発生が認められている。その原因もまた、未だ不明である。後縦靱帯骨化症との合併もしばしばみられる。

(甲19ないし24、30、乙ロ4ないし6、証人阿部弘、弁論の全趣旨)

三  争点及び争点についての原告の主張

1  争点

(一) 原告は、岩見沢拘置支所及び月形刑務所収容中、外科的手術をすべき状態にあったか。また、右手術をしなかったために、原告の症状が増悪したと言えるか。

(二) 仮に、そうでないとしても、原告は、岩見沢拘置支所及び月形刑務所収容中、原告は外科的治療を受ける機会を不当に奪われたと言えるか。

2  原告の主張

(一) 身柄拘束中の原告の症状の悪化

原告は、点検口への落下事故により、頚部脊椎症、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症等の傷害を併発しており、既に岩見沢拘置支所収容中の昭和五九年九月一四日、小便がタラタラと切れない、歩行障害、上肢不自由、左手の痺れ、右手が使えないなどという症状を呈していたのであるから、同年中には手術適応の状態にあった。

しかるに、原告は、岩見沢拘置支所及び月形刑務所における身柄拘束中、漫然投薬のみの治療を施行され、また、運動や日光浴も禁止され、かつ病舎ではなく独居房に収容されていたため、右病状は回復せず、出所後では手遅れの状態となり、原告には、両上下肢の筋力低下、両下肢の痙性歩行、両上下肢の感覚障害が残り、症状が固定するに至った。

(二) 適切な治療を受ける機会の喪失

原告は、岩見沢拘置支所及び月形刑務所収容中、X線CT等による精密検査はもちろん、レントゲンによる単純撮影さえ受けず、また、月形刑務所収容中、専門医である外科医の診察も受けられなかった。

原告が早期に外科医による診察を受け、精密検査により頚部及び胸椎の異常が発見されていれば、原告の症状は今日の程度には至らなかったのであり、その機会を与えなかった国は責任を免れない。

四  証拠関係

記録中の書証目録、証人等目録記載のとおりであるからこれを引用する。

第三  争点についての判断

一  原告の病状及び障害の程度

1  岩見沢拘置支所収容中

前認定(本件の経過3)のとおり、原告は、岩見沢拘置支所収容中、食事の際、箸に代えてスプーンの貸与を受け、入浴や医師の診察を受けるため、職員の介助を必要とした。また、及川医師に対し、頚部痛、両上肢痛、右下肢痛を訴え、同年九月一四日、佐藤医師に対し、排尿障害、歩行障害、知覚障害、右手が使えず左手がしびれる旨の症状を訴えた。

ところで、佐藤医師は、同医師に対する原告の前記愁訴にはかなりの誇張があるとの印象を受けていたが、両下腿、右上肢で筋力の低下があるものと認めている。

以上によれば、昭和五九年八月一一日から昭和六〇年一月二七日までの岩見沢拘置支所収容中、原告には、少なくとも頚部痛、両上肢のしびれ、排尿障害等があり、箸が使えず、歩行にも介助を必要とする状態であったと認めることができる。

2  月形刑務所収容中

前認定(本件の経過4(一)(二)(四))のとおり、原告は、月形刑務所収容中、吉田医師に対し、頚部痛や左大腿のしびれなどの症状を訴え続け、尿失禁を訴えることが二度あったが、上肢の不自由を訴えることは特になかった。昭和六一年に入ってからは、原告がかゆみや不眠などを訴えることはあっても、自覚症状として頚部痛や下肢のしびれなどを訴えることはほとんどなくなるに至った。

3  月形刑務所出所後

前認定(本件の経過5)のとおり、原告は、昭和六一年六月三日、阿部医師に対し、歩行障害、両手のしびれ感、排尿障害、握力の低下を訴えている。

ところで、上肢の障害については、月形刑務所入所当初から原告の愁訴がなかったこと、原告が田代医師に対しては上肢に不自由はない旨述べていること、手術後上肢の筋力が著しく改善されているが、胸椎二番ないし七番の椎弓切除術が理論的には下肢の症状しか改善されないこと(証人阿部弘)に照らし、出所後も上肢には障害がなかったものと推認される。

また、歩行障害について、原告は手術によって改善されたがなお左下肢のつっぱり感がある旨述べる(原告本人(第一、二回))が、手術前の検査において田代医師はヒステリー性歩行に過ぎないと判断していたことに照らし、手術によって実際にどれだけの改善があったのかは不明というほかない。

また、少なくとも手術後には原告の排尿障害は消失している(原告本人(第一、二回))。

以上によれば、月形刑務所出所後、原告には、左足を少しひきずる程度の歩行障害及び若干の感覚障害が残っていたものと推認できる。

4  レントゲン写真における原告の頚椎及び胸椎の病状

(一) 前認定(本件の経過5(一)(二))のとおり、昭和六一年七月、北大病院脳神経外科における精密検査の結果、原告が頚部脊椎症、頚部後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症を負っていたことが認められ、平成三年四月一〇日のレントゲン写真によれば、頚椎五番―六番、六番―七番が癒合し、前方の骨化が進行している(乙ロ7の6ないし12)。

(二) 前認定(本件の経過3(二))のとおり、昭和五九年九月一四日のレントゲン写真によれば、原告の頚椎五番―六番、六番―七番には椎間板変性、頚椎五番―六番の後方骨増殖、椎間孔狭小が認められるから、症状との対応が認められる限り、原告は岩見沢拘置支所収容中から頚部脊椎症を負っていた可能性を否定できない。

また、頚部後縦靱帯骨化症については、右レントゲン写真から頚部後縦靱帯の骨化を認めることはできず(証人阿部弘)、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症については、当時胸椎のレントゲン撮影がされていなかったから、これらの疾患が昭和五九年当時存在したか否かは必ずしも明らかではないが、後縦靱帯骨化症の頚椎側面単純レントゲン写真による出現頻度は約二パーセントに過ぎず(甲20)、これらの疾患が長期間を要する慢性の病気であること(証人阿部弘)に照らし、症状の原因であるか否かはともかく、昭和五九年当時から原告の頚部及び胸部の後縦靱帯及び黄色靱帯が骨化し始めていたものと推認することができる。

5  原告の疾患

右1ないし3を総合すると、原告の症状の原因としては、外傷による頚椎捻挫、その後遺症、外傷による頚椎症性脊髄症、頚椎症性神経根症、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症の一つ又は複数の急激な悪化の可能性がそれぞれ考えられる。

右疾患のうち、頚椎症性脊髄症、頚椎症性神経根症、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症には無症候性のものもあり、かついずれも長期間を要する慢性の病気であるから、現時点において、月形刑務所入所時における原告の疾患がこれらのいずれかを特定することは不可能であり、また、同所入所後、原告の症状の原因が変化した可能性も否定できない。

二  被告の責任について

1  各疾患の治療方法

原告は、月形刑務所長その他職員が、外科的治療を行うべきであったのに漫然投薬を行う治療のみを行っていたため、原告の疾患が手遅れとなり、症状が固定してしまった旨主張する。

そこで、まず、原告の症状の原因である可能性のある各疾患の治療方法について検討する。

(一) 頚椎捻挫

頚椎捻挫の症状は、湿布、鎮痛剤等の保存的治療で通常約三か月で軽快し、手術的治療はあまり考えられない。

(二) 頚部脊椎症

(1) 保存的治療

頚椎の免荷と安静を心がける。積極的に頚椎の免荷と安静をはかる方法としては、通常ソフトカラーの装着と牽引がある。頚部の可動性の増進を目的とした柔軟体操は有害無益であることが多く、むしろ上肢の運動によって僧帽筋や菱形筋をストレッチし、全身的に血行の改善をはかるのがよいとされる。局所症状や神経根症状では三週間ほどで改善することが多く、頚髄症でも軽度であれば多くは三か月程度で軽快する。

また、投薬については、対症的に、局所症状や神経根性疼痛には消炎鎮痛剤と筋弛緩剤を、頚脊症の痙直症状には強い筋弛緩剤を用いる。

(2) 手術的治療

保存的治療を続けても、腕の痛みの改善傾向がみられないとか、手のしびれが悪化し、手足の動きも鈍くなってくる場合には手術を考慮する。

疼痛だけならば、我慢できる限度まで手術を待ってもよいが、手足が麻痺するようになると、手術がうまくいってもよくならない場合が多い。箸が使いにくい、階段を下りるとき手すりが要る、尿が出にくい、残尿感があるなどの症状が出れば、手術適応と考えるべきであると言われる。

(三) 頚椎後縦靱帯骨化症

(1) 保存的治療

圧迫されている脊髄を最も楽な状態にするため、一定期間脊柱を保持することが必要である。具体的には、牽引、カラー装着などを行う。

(2) 手術的治療

脊髄麻痺が進行し日常生活動作に支障をきたしたものは、手術の適応となる。手術は麻痺が高度にならない前に行うべきで、重篤になると脊髄自体に非可逆的変化が生ずるので、手術を行っても麻痺の回復は期待しがたくなる。手術の方法は、骨化の範囲が三椎体以内の場合、前方除去術を行い椎体を固定するが、骨化の範囲が三椎体以上の場合、椎弓切除術を行い脊柱管の除圧をはかる。

(四) 胸椎後縦靱帯骨化症

(1) 保存的治療

骨盤牽引が有効なことがある。

(2) 手術的治療

麻痺が進行し日常生活動作に支障をきたしたものは、除圧的椎弓切除を実施する。手術成績は、頚椎のそれに比し劣っているようである。

(五) 胸椎黄色靱帯骨化症

(1) 保存的治療

骨盤牽引により胸椎の安静を保つと症状の改善をみることがある。

(2) 手術的治療

麻痺の進行する場合は手術的に治療し、椎弓切除術を行う。

(甲19ないし24、30、乙ロ6、証人阿部弘、弁論の全趣旨)

2  岩見沢拘置支所及び月形刑務所収容中の手術的治療の必要性

(一)  前認定(本件の経過3(二))のとおり、確かに原告は岩見沢拘置支所収容中、箸が使えない、歩行に介助を必要とするなどのいわゆる日常生活動作に支障をきたす症状が認められた。

(二)  しかし、

(1)  右は点検口への落下による受傷から約一か月後であり、頚椎捻挫もしくは軽度の頚髄損傷の症状である可能性も否定できず、この場合、これらの疾患は保存的療法によって軽快する場合が多いこと、

(2)  原告の症状の原因が仮に頚部脊椎症、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症のいずれかもしくはその合併であったとしても、これらの疾患には無症候性のものがあり、症状との対応を見極める必要があったところ、前記のように原告の愁訴には多分に誇張が含まれていたため、その診断が困難であったこと、

(3)  岩見沢拘置支所収容中、及川医師は、原告に対し、ギプス固定や湿布、投薬等の治療を行い、月形刑務所収容中、吉田医師は、原告に対し、カラーの装着、湿布、鎮痛消炎剤、骨格筋弛緩剤などを投与し、また、原告は、入所以来、独居房において横臥を許されており、原告の症状の原因である可能性のある疾患がいずれであっても、保存的療法としては相当な治療を行っていたと解されること、

(4)  吉田医師は、昭和六〇年二月二二日、外科医である佐藤医師と相談し、その助言に従って保存的治療を継続しており、佐藤医師は、昭和五九年九月一四日、原告を診察していたこと、

(5)  保存的治療を継続した結果、原告の症状はむしろ改善傾向にあったこと、

(6)  前認定(本件の経過4(一)(三))のとおり、月形刑務所収容中、原告の症状は、上肢の障害が消失し、歩行障害についても改善が認められたこと、

(7)  胸椎黄色靱帯骨化症について、阿部医師は手術適応と判断し、昭和六一年七月九日、椎弓切除術を行ったが、その直前である同月四日、原告を診察した北大病院整形外科の田代医師は、手術の適応について疑問を呈していたこと、

(8)  頚部脊椎症、頚椎後縦靱帯骨化症の手術については、阿部医師も、平成五年六月一日現在でも未だ時期を失し手遅れとなったとは判断していないこと(証人阿部弘)

などの事実関係に照らすと、右(一)の点のみをもって、岩見沢拘置支所及び月形刑務所収容中、原告に対し、外科的治療を行わねばならなかったと認めることはできない。

3  外科的治療の機会の喪失

(一) 原告は、月形刑務所収容中に外科医によるX線CT等による精密検査を行われれば、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症が発見され、手術を初めとした適切な治療が行われ、原告の症状が今日の程度には至らなかった可能性があると主張する。

(二)  確かに、原告は、昭和六一年六月一〇日北大病院脳神経外科に入院するまで、レントゲンによる単純撮影を受けただけであり、より以前に精密検査が行われていれば、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症が発見された可能性はあるし、また、頚部脊椎症、頚椎後縦靱帯骨化症、胸椎後縦靱帯骨化症、胸椎黄色靱帯骨化症の治療として前方除去術ないし椎弓切除術が行われた場合に、保存的治療を継続するよりも症状が改善した可能性も否定できないところである。

(三)  しかし、外科医である桑島医師、及川医師、佐藤医師のいずれもがレントゲンの単純撮影のみを行っただけであること、X線CT等は、昭和五九年当時、一般の整形外科における診断は、レントゲンの単純撮影と症状等による総合判断が通常であったと認められること(証人阿部弘)に、右2のとおり、原告に対し、岩見沢拘置支所及び月形刑務所収容中、外科的治療を行うべきであったとも言えないことを併せ考えると、原告に対して、精密検査をしなかったことをもって、直ちに違法に外科的治療の機会を喪失させたと言うことはできない。

第四  結論

よって、原告の本訴請求は、その余の点を検討するまでもなく理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官石田敏明 裁判官大野和明 裁判官本田晃)

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